2010年2月20日土曜日

一人旅 4

16日、銀の町として有名なTaxcoという町に行ってきました。

バス片道3時間というちょっと長めの移動。
山に沿うように街があり、ここも道が石畳で、まるでヨーロッパ。


その昔スペインに莫大な富をもたらしたというだけあり、町のいたるところで銀製品が並んでいました。

大学時代、僕が金属工芸が専攻だったこともあり、一番楽しみにしていた街かもしれません。
バスもあったのですが、とにかく歩こうと決めていました。
坂道が続いていて、登ったさきに広場があって、町の人の憩いの場になって
あるく先で並んでいる銀製品を見ては、接着、接合方法、細工技術などを考えていると、学生時代を思い出してしまいます。

旅も終盤、お昼はちょっといいお店に。

そこは、広場に面していて町の様子を眺めながら食事ができました。
メニューはずばり・・・

肉!!

もう久しく柔らかい肉なんて食べていません。
以前、スペイン語の先生からメキシコのステーキの話を聞いていて気になっていたので・・

注文。
しかもレアで。

さらに、飲んでみたかったテキーラ。
Taxcoの人たちがよく飲むというBerthaという名前のカクテル?でいただきました。
水、蜂蜜、氷で割ったシンプルなお酒でした。

これ最高。

さらに、スープ。普通のコンソメスープですが、アボガド、ハバネロなど入れていただきます。
とにかく辛い。
でも美味いんです。

ここでも、お店の人が日本語に興味があり、自分の名前を日本語で、書いて欲しいというので、プレゼント。
漢字もつけて欲しいというので、つけて意味を説明。
本当に喜んでくれました。

食後は、メルカド(市場)へ。
現地の人たちの生活を肌で感じることができるのも市場のいいところかも。
普段どんなものを食べるのかとか、どんな服を着るのかとか、いろんなことを見ることができました。

でも、何よりも本当に街がきれい。
ゴミなんかありません。
これが街の力のような気がしてならなかったです。
昔の生活と現代が見事に融合していて、なおかつ活気にあふれた素敵な街でした。

最後は少し買い物をして、バス停へ。
帰るのがとても・・とても残念でした。
他の街でも思っていましたが、この街では特にそう思いました。

その日の夜、メキシコシティーで、ユカタン半島料理を食べることができるという店へ行きました。
今回の旅では、首都を拠点にしていて、ユカタン半島まで行くことができないためです。
旅の本にあるとおりのお店へ行くと・・

高い。

値段は日本のレストランと変わりません。
でも、ここまで来たんだし・・・

食。

最高でした。
美味い。食は歴史を表しますよ。
ドミニカから来てるぶん、そう思っちゃいました。

ここでも、国産ビール、テキーラを。
もうメキシコでいっぱい。
Viva México!!

ホテルに帰ったときは、即ベッドでした。。。

2010年2月17日水曜日

一人旅 3

15日、メキシコシティーから東にある街へ行ってきました。
本当にきれいな・・美しいところで、歴史を感じる、またヨーロッパを感じさせてくれる街でした。
朝9時に出発して、到着したときは昼過ぎでした。到着してすぐに某旅雑誌にあったお店へ。
庶民的なお店と書いてあったので行ってみたら、確かに落ち着いたお店ですが・・

お客がいない。

たいてい、こういうところは美味しくないところが多いんですよね。

注文すること数十分後、料理がでてきました。
注文したのはMole poblano 。これは、本にあったとおりの味でした。
そして、一緒にででてきたのは・・

Arroz a la Mexicana 。

これは、まぁ・・・美味しいとは言えませんが、まずくはない。
そんな感じです。

全体的には・・
別の店でもよかった感じです。

食事後、お店の人や子供たちとおしゃべりタイム。
やたら日本語を教えてくれとせがまれ・・

出張授業。

メニュー一つ一つに日本語で名前付けてくれと言われましたが、時間もそうなかったので退散。

Adios!

その後はお土産探しにEl Parian市場へ。
ここも素敵な市場でした。
お土産にメキシコを象徴するSombreroを某友人に買いました。

買い物のあとは街探検。

本当に美しい街です。
どの店も、景観を崩さない工夫がされてます。

大きな通りに出ると、イベントが行われてて、幸運にも、メキシコの踊りをみることができました。


気がついたら帰りの時間が。。。
タクシーでバス・ターミナルへ。

その途中・・・
僕と方言の話しに盛り上がった運転手は信号無視をしたらしく・・

警察に捕まる!!!

つかまった後に運転手が「信号に従って運転した」と何度も主張。そして最後に警察に言った言葉が・・・
「お客が質問してきたから答えただけだ」

「ってことは、信号無視ですね?」
あえなく罰金払っておわりました。

不謹慎ですが、とても、この運転手がかわいかったです。
なので、いつもより、ちょっと多めにチップ払いました。


こうして、プエブラの旅が終わりました。
いやー、楽しい。
明日はどんな旅でしょうか!!

それでは・・Chao!!

2010年2月16日火曜日

一人旅 2



13日、早朝より地下鉄、長距離バスでテオティワカン遺跡へ。
かの有名なピラミッドですよ。
こういう移動も一人でできるようになったと感動。

現地では、スケールの大きさにこれまた感動。
すごいなぁ。
大昔の世界にひたってると・・

日本人が。

さすがメキシコ。
当たり前ですが、ドミニカ共和国より認知度は高いですよね。
その日だけで、3組の日本人旅行者にあいました。

世界各国から旅行者がきてます。
中南米がやはり多い気がしました。
だから、写真を撮ってもらったり撮ったりと、会話がスペイン語だったのでありがたかったです。

午後はメキシコシティーへ戻り、近代美術館へ行きました。
久しぶりの美術館。
以前ドミニカの美術館ではではげんなりしていましたが、ここメキシコは応えてくれました。
久しぶりに作品に感動したり、考えたりと、あっという間に半日過ぎていてびっくり。
気がついたら閉館時間になっていました。
こうして13日終了。

翌日、14日はケレータロという街へ。
ここには大昔作られた水道橋が残っているんです。
バスで乗り合わせたおばさんと話してたら・・・
ケレータロまで4時間だそうで。
びっくりして、降りようか迷ったんですが、あせらずに一日全部ケレータロに使おうと決心し、とりあえずバスで揺られること3時間。
到着。あれ??

うれしい間違いもあるもんだ。
これも旅のひとつの味でしょうか。。
そしてタクシーで市外へ。
運転手としゃべってたら仲良くなっちゃって、水道橋全部案内してくれることになりました。
いやー。またもや感動。
昔の人ってすごいよね。
こんなの作っちゃうんだんもん。

運転手にこの町で一番うまい伝統料理が食べられるお店紹介してって頼んだら・・・
自信満々に





     「任せろ」





    頼りになるね~!





行く途中運転手(ラファエル)は自宅自慢を始めました。
「俺の家は5部屋あって、嫁と二人暮らしなんだ。広すぎて困っちゃうぜ。ドミニカ人はどうだい。どんな家に住むんだい?」
この辺は普通に答えました(僕)

「うちのベッドなんかでかいんだぜ!まぁ、俺のベッド一つで30人くらいは寝れるぜ」

??

どんなベッドよ?


そんなこんなでレストランに到着。
そこはなんと・・


ファミレス。

なんじゃそりゃ。

笑うしかない状況でしたが、とりあえず店内へ。
なんとびっくり、食べれるんだね。郷土料理。
そして、本当に美味い。

ありがとう。ラファエル。

店員さんもメキシコ料理についていろいろ教えてくれました。
気がついたら、日本の話や、家族の話とかになってて、店員さんは僕とおしゃべり全開。。
もはや職務放棄ですよ。

楽しい食事の後はバス停へ。

バス停まで近いということだったのでタクシーと徒歩での時間をそれぞれ聞くと・・
タクシーなら1分。
徒歩なら30分。

どんだけタクシーとばすのさ?
もしくは、どんだけゆっくり歩くのさ?

迷ったあげ徒歩を選びました。
歩くこと30分。もちろんつきません。

広いなーメキシコ。
とか、つぶやきつつ、歩きまくって40、50分くらい歩いたでしょうか。
到着。

バス停で、バス会社を行きと変えてみることに。

帰りも値段は同じでさらにおやつがつくというサービス。
さらに車内はめっちゃ広い。
ベッドみたいになる座席。
本当に快適。

出発すること1時間半。

到着。


何だったのさ?行きは。

笑うしかないケレータロの旅でした。

一人旅

みなさん、お元気ですか??

突然なのですが、僕は今メキシコにいます。
ついに憧れだったメキシコに一人で旅に来ることができました!!

以前からずっとこの地に憧れていました。
なぜかというと、日本の派遣前訓練中、僕のスペイン語の先生からメキシコについて、たくさん話を聞いていたからです。
僕が尊敬する、同じ教員仲間の友達は、OB協力隊のメキシコ隊員。
以前、ドミニカを訪れてくれた友達です。彼もメキシコのことを以前からたくさん話をしてくれていました。

先週11日午前中に仕事を切り上げ、急いで空港へ。
夕方4時半の便でまずはパナマへ向かいました。
ドミニカ共和国からメキシコへ行くにはパナマ経由しかないんです。
パナマでは宿泊だけ。

パナマ到着の感想は、パナマのスペイン語がドミニカ共和国のと似ているということでした、そのため外国に来た気分がしませんでした。

とりあえず、パナマのビールはいただきましたよ!

そして12日、ついにメキシコ到着。
空港で早くも感動が。
お客に対する対応が素敵。
なんときれいなスペイン語でしょうか。
こういう対応はドミニカではされたことがありません。
空港内にあったスタバやセブンイレブンに感動(久しぶりすぎて)しながら、タクシーを捜し、ホテルへ。
滞在中はメキシコシティーのホテルを拠点にしてすべて日帰り予定を組みました。
だから一週間過ごすホテルです。
そのホテルチェックイン後、すぐに町探検。
まずは両替ですよ。
両替所に行ってびっくりしたこと・・・

それは・・・・

日本円も扱ってる!!!
あまり率はよくなかったですが、きっと慣れない日本人旅行客にとってはありがたいかもしれませんね。
記念に円からメキシコペソに変えてみたかったんですが、僕はドルしか持ってなかったんでできず。。
その後、到着を友人に連絡。
屋台でタコスを食べ、あまりのおいしさにホテルへも持ち帰って一日終了。

それでは、続きは長くなるので、次の日記で。

Chao!!

2010年1月30日土曜日

残すところ・・・

ドミニカ生活も2ヶ月をきりました。 早いですねー。

振り返ってみると、なんだかんだで、僕はずいぶんこの国が好きになってるんだなぁとか思います。

食事(油っこいものばかりだけど)。
民族性(腹たつことばっかだけど)。
文化(あんまり感じられませんが)など。


なんだかんだ・・・


好きだ!!


しかし・・
一つだけ、どおおおおおおおしても慣れないことがある。。


それは・・


水シャワー。


この時期、そこそこドミニカも寒いんです。 秋・・とまでは言いませんが寒いんです。


さらに・・・ 断水。 最近は二日に一度は断水。
我慢してシャワー浴びてるのに・・・


そりゃないよ。。。


ちょっと最近これがひどいので若干イライラしてるかも。。



二ヵ月後は・・

暖かいお風呂で・・・
鼻血でるまで浸かって・・・
お風呂上りに腰に手あててコーヒー牛乳。
飲み干したあとで外出て深呼吸。

そんな妄想しながら日々過ごしてます。 あー。 温泉行きたい。

温泉も絶対行くもんね。

そんなこんなで、あと2ヶ月がんばりまーす

2010年1月15日金曜日

明けましておめでとうございます

遅くなりましたが、みなさま、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
さて、先日隣国ハイチで起きた地震によって多くの犠牲者がでています。
私は無事です!!ご心配をおかけしました。
私は地震が起きたとき家にいました。
この国の建築現場をよく見かけていたので本当に怖かったです。
ドミニカ共和国だけではなく、おとなりハイチも家屋などの建築方法はほぼ同じで、コンクリートのブロックを積み重ねていくだけのシンプルな方法です。今回とてつもなく被害が大きくなっている要因の一つかもしれません。
安否確認のメールを本当に多くの方からいただきました。本当にありがとうございました。
みなさまに出会えたことに心から感謝しています。

さて、ドミニカ共和国では、被害は建造物の破損程度ですみましたが、震源地のハイチでは大変なことになっています。
連日、痛ましいニュースが飛び込んできます。
日本では絶対に放送できないような現場の映像、写真などがニュースで取り上げられていて、僕は直視することができません。
ハイチの首都では、建物はほぼ倒壊している状態で、ガソリンスタンドからも出火し、町のいたるところで亡くなられた方々の遺体が放置されたままになっています。
倒壊した学校の隅には子どもたちの遺体が積み重なっています。
現地でもなすすべがないようです。
本当に悲惨な状況です。

どうしてこんなことが起きてしまうのでしょうか。
僕はボランティアでありながら助けに行くことはできません。
何かしたいとは思うのだけれど、何もできません。
ただただ、悲しいです。

私にはハイチ人の友達が多くいるのですが、彼らは様々な問題を抱えてしまいました。
ほとんどがドミニカ共和国の大学生なのですが、ほとんどが安否確認をできない状況です。取れた友達は両親が亡くなられていました。しかし、彼は両親を失った悲しみだけでなく、学費、生活費などの問題を抱えてしまいました。
世界中の方々の支援を早急に必要としています。
ハイチの方々の願いが世界に届きますように。

日本政府は緊急無償資金協力を行うそうです。国連児童基金(UNICEF)、国連世界食糧計画(WFP)等の国際機関と協力しながら支援を早急に実施する予定という連絡を受けました。 そして、緊急援助物資(テント等)の供与も行うそうです。医療分野での支援等を念頭に、現地での調査と調整を目的として、四宮信隆ハイチ大使(ドミニカ共和国に駐在)を団長として、外務省、防衛省及び国際協力機構(JICA)から成る緊急調査チームを今日ハイチへ派遣したそうです。 仲良くさせていただいている大使館の方も、一緒に行かれたみたいで、娘さんがとても心配していました。

とにかく今は、一刻も早い復興を心から祈っています。

帰国まで残すところ2ヶ月と1週間。まずは無事に、そして元気に帰国を目指して頑張りたいと思います。

写真はハイチの首都Puerto príncipe(日本語で何ていうかわかんないので・・) の様子です。