2009年3月13日金曜日

言葉について

今回、ホントに長い文章になったんで、もしも・・・もしも読まれる方がいましたら、根性で読む以外にないと思われます。
でもっ!! 無性に書きたいと思ったのでお許しくださ~いっ!!!

スペイン語を学ぶことで感じたこと。
ただ、以下のことは私の見解なので、誤解があるかもしれませんがご了承ください。そして、ここからは別に作って貼り付けたので、文が多少硬いですが、気にしないでください。


日本には国語という教科がある。
学校教育では、ある一定の目標のもと教育活動を推し進めている。
例えば国語は「 国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力及び言語感覚を養い,国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる。」という指導要領の目標がある。

このことは日本語を適切に正確に使えるようになって、言語に対する意識を高めましょうと理解してとれる。この国語教育が効果的に機能してきたと仮定すると、私たち日本人はこのような国語科教育目標のもと国語の授業をうけてきたから、日本国内どこへ行っても自分の意思を伝えることができると考えることができる。 ただし、これは私の経験中心に考えているため、自分の育ってきた環境に焦点を絞っている。

ここドミニカにはたくさんの特有の表現がある。もちろん辞書にはない。
しかし、基準となるスペイン語があるわけで、スペイン語を知らない日本人がこの国で会話(ここでは正しく伝え、聞き取ること)できるようになるためには、やはりスペイン語のルール(文法)を学ばなければならない。

「伝わればいい」と思えば簡単なことであるが、人と人とのコミュニケーションには「言葉使い」というものがある。
目上の人に対してや、その場の状況における言葉使いなど様々ではあるけれど、私たちは使い分けることによって社会に適応できるようになっている。

例えば、初対面の人に出会ったとき、いかにも以前から知っている人、もしくは友達のように話してしまうと相手によっては失礼だと捉えられてしまう。ここで人は相手を選ぼうとしてしまう。
もしも言葉を使い分けることができる人ならば、距離を保ち、そこから人間関係を構築していくことができるだろう。日本では、そんな生きる知恵ともとれる言葉使いを私たち日本人は学校教育で学ぶことができる。


日本では国語があるように、ここドミニカでもスペイン語という科目がある。ここでは読み書きだけでなく、言葉のしくみ、話法などを学んでいく。

あるとき、ここドミニカ共和国の私が働いている学校で、職員室に入ってくる子どもが入室する際、挨拶、用件を入室前に教師に訂正させられる場面があった。
日本でも同じことが多くあるが、そのとき外国人である私はとても驚かされた。普段聞き取れない子どもの言葉が急に理解できる。なぜならそれは子どもが丁寧に文法を守り、正しく話すからだ。

日本においても各地方の方言はあるけれども、多くの人々が公式な場では言葉を使い分けることができる。たとえ使い分けることができなくても相手に伝わる表現方法を知っている。
その証拠にテレビ視聴の際、大多数の人々がその内容を理解しているからだ。
言い換えれば、どの地方に行っても基準となる日本語を使うこと(正しく話すこと)ができれば、たとえ聞き取れなかったとしても相手に自分の意思を伝えることはできる。
逆にそれができなければ、先にあげた例のように相手を不快にさせ、また無作法に職員室に出入りしてしまうことになってしまう。

ドミニカに来てすでに半年が経とうとしている。ここでは私が外国人であるが、私は自分の伝えようとする言葉が相手にとって失礼に当たる表現になりえそうな場合、他の言い方をしてしまい、直接自分の言いたいことが伝わらない。
伝わったとしてもそれは片言で、自分でそれを理解しているために笑顔や雰囲気でごまかしてしまう。

相手は言葉の使い方を見て相手の人間性、社会性を問うことから、これでは、いつまでたっても公式な場には立てず、対等の立場を確立することができない。

完全に正確ではないけれども、私が日本の教育で日本語を学んできたように、正確な文法を学んで、正しい言葉使いができるようにならなければ、このラテンアメリカ区域では十分に仕事ができない。
なぜなら、各国々で異なる言い回しが多々見られるからだ。しかし、ここにおいても、やはり全員が理解しているスペイン語は存在している。
その基準となるスペイン語を自分なりに理解を深め、言葉を身につけていくことは、その国で生活する上で必要不可欠であり、本当に時間のかかることである。
ましてや2年間で完全に言語理解などできるわけはない。だからこそ、少しでも言葉について考える時間をもち、少しでも理解に努めていかなければならないのだと思う。


長くなりましたが、まじめに語学について悩み、考えているのでこの日記?レポート?を書きました。
読んでくださった方々、ありがとうございました。

2009年3月6日金曜日

節目

ついに今月、30歳の誕生日を迎えます。
どんな30歳になるか、何をやり残したか、そんな未来の自分を思い描きながらついに今月を迎えました。
以前日記にも書いたのですが、今のうちにたくさん旅行もしようと先月から週末はほとんど旅行で家にいないため日記が遅くなりました。

自分でバスのレンタル、値段交渉、ホテルの予約などたくさん勉強になってます。
写真は、先週行ってきたドミニカで一番美しいといわれるBahia de las aguilasっていう海です。

本当に美しいところでした。正直、こんな景色にめぐり合うなんて・・とか思いました。
毎回海に行くたびに思ってたのとはレベルが違いすぎです。
海では子どもとはしゃいじゃって♪
20代最後の素敵な思い出がまた一つできました。


海はもちろんですが、語学の方でも一つの転機を迎えれそうです。
今日・・・行ってきました。



語学学校申し込み。




これは20代最後・・ではなく、30歳のスタートを意識した感じです。
ドミニカに来て半年。少しはスペイン語できるようになったんだろうか・・とか不安になるくらい自分の未熟さを感じる毎日を過ごしています。。。

しかし、実は昨日、衝撃的なことがありました。
ソファーでハイチ人の友達と話してて、なんとなくいつもと比べて違和感があったのですが、なぜか急に小さい頃のことを思い出しちゃいました。

それは、ある学校の英語の先生がペラペラと外国人と話してるって話題が家族の中であり、「かっこいいねー、すごいねー」なんてこと言ってたんです。
僕も小学生ながら、外国語話すってどんなだろう?とか、日本語の方言みたいなもんかなー?とか考えていました。
急にそんなことを思い出してゾワゾワってきちゃって。。

ハイチ人は母国語がフランス語。だから彼はスペイン語を勉強してドミニカの大学に来ているんだけれど、僕も彼もお互い違う母国語を持ちながらスペイン語を通してお互いの国のことを話してるこの奇妙な空間があまりに不思議でした。


初めて自分がしゃべってるって思いました。
話してたのがソファーでリラックスしてたのもありましたが、何も考えずにしゃべってた気がしたんです。 こういう瞬間がたまらなくて、もっともっと勉強しなくちゃって思えました。

そんなこんなで、来週から語学学校が始まります。
しっかり勉強して、ドミニカの人としっかり向き合える語学力を身につけて素敵な30歳目指します。